『健全なる精神は健全なる肉体に宿る。』 昔、学校で習った言葉ですが、おかしいですよね。
原文を探すと、
『こう願うがよい。健全な身体に健全な心を宿らせてくれと。』ユウェナリウス(ローマの詩人)
この言葉の誤訳が、最初の言葉になったのだそうです。
屈強な肉体を持った若者にこそ、健全な精神が宿って欲しい。と云う願望を述べた言葉。願望という事はなかなか一致する事が難しいという事なのでしょうか?
何故今こんな事を言い出すかと云えば、
“美しい人にこそ美しい心が宿って欲しい。”と願うからです。
美しいあなたの事ではないですよ。たまたま、私の周りにそうでない人が多く見かけられるだけです。
格言の欺瞞と云うほどでもないのですが、本来の原文と全く違ってしまった格言。
“井の中の蛙、大海を知らず。”
世間知らずの事を、馬鹿にしていった言葉ですが、原文にある続きの言葉を聞いて驚きます。
“されど天の深きを知る。”
つまり、一カ所にとどまって深く思索を巡らせれば、宇宙の真理を悟る事が出来るという本来の意味だそうです。
格言って、誰が造ったんだろう。きっと随分えらい人が造ったのでしょうね。(今の政治みたいと陰の声)
もう一つ、最近知ってビックリした言葉。
学生時代、二十歳の夏、年上の友達とリュックを背負って北海道旅行をしました。
定番のように、札幌ではクラーク博士の銅像の前で記念写真を撮りました。
『少年よ大志を抱け!』
大志を失い掛けている今になって、その後の言葉があった事を知りました。
『この老人のように!』
大志を一生持ち続ける事を教えた言葉だったんだ。
『ガ?ン!』
心新たに、今又前進!
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