2006年6月アーカイブ

あったまに来た。


もともと少し離れたパソコン専門激安店に行くつもりだったけど、『安いマウスを買うぐらい近くでいいか。』と思って、久しぶりにデ○○オのパソコンコーナーに行ってみた。多くのお客さんが来て見てるけど、売り場の人の説明が的はずれなデタラメ(2台のパソコンで1台のプリンターを共有する方法がないのだそうです。全く初歩的な知識もないのか?)。つい口をはさんでお客の私がお客のお買い物を選ぶ羽目に。

そこまでは良かったけど、さてマウスを選ぼうと見ると全般的に少し高めに感じます。同じ買い直すなら便利の良いものをと思って、光学式コードレスマウスが一番安くて2,480円の吊り下げに一つだけ残っていたのでそれを買って帰る事に。

レジで「2,980円戴きます。」
と言われ、
「2,480円のところにあったよ。」
と言っても
「お客さんが勝手におかれたのでしょう。よくあるんです。」
と平然と言われ
「交換しますか?」となにかこちらが悪者顔。

いい加減時間が掛かっていたので「もうそれでいいから。」とあきらめて買って帰ったけど、なんだかイヤな買い物でした。

帰り道で悟った事。
元々、パソコン初心者向けの売り場設定で、おとなしく人のいいお客が対象になっているんだ。パソコン自作やシステム組み立てを自分でやるようなユーザーは、売り場にとって迷惑なんだ。

やっぱりここには来るんじゃなかった。ちぃっちゃい買い物に後悔の嵐。

気持ち良く眠れる、安くて・いい寝具を選ぶなら
こっちの売り場は初心者からパワーユーザー迄、どなたも質問大歓迎。親切にお答えしますょ。

『健全なる精神は健全なる肉体に宿る。』 昔、学校で習った言葉ですが、おかしいですよね。

原文を探すと、

『こう願うがよい。健全な身体に健全な心を宿らせてくれと。』ユウェナリウス(ローマの詩人)
この言葉の誤訳が、最初の言葉になったのだそうです。

屈強な肉体を持った若者にこそ、健全な精神が宿って欲しい。と云う願望を述べた言葉。願望という事はなかなか一致する事が難しいという事なのでしょうか?

何故今こんな事を言い出すかと云えば、
“美しい人にこそ美しい心が宿って欲しい。”と願うからです。

美しいあなたの事ではないですよ。たまたま、私の周りにそうでない人が多く見かけられるだけです。

格言の欺瞞と云うほどでもないのですが、本来の原文と全く違ってしまった格言。
“井の中の蛙、大海を知らず。”
世間知らずの事を、馬鹿にしていった言葉ですが、原文にある続きの言葉を聞いて驚きます。
“されど天の深きを知る。”

つまり、一カ所にとどまって深く思索を巡らせれば、宇宙の真理を悟る事が出来るという本来の意味だそうです。

格言って、誰が造ったんだろう。きっと随分えらい人が造ったのでしょうね。(今の政治みたいと陰の声)

もう一つ、最近知ってビックリした言葉。

学生時代、二十歳の夏、年上の友達とリュックを背負って北海道旅行をしました。
定番のように、札幌ではクラーク博士の銅像の前で記念写真を撮りました。
『少年よ大志を抱け!』

大志を失い掛けている今になって、その後の言葉があった事を知りました。
『この老人のように!』

大志を一生持ち続ける事を教えた言葉だったんだ。
『ガ?ン!』

心新たに、今又前進!

西川リビングが行なう毎年恒例の全国専門店会総会が、今年も大阪弁天町三井アーバンホテルで開催され、参加してきました。 宿泊した部屋、40階の窓からの大阪夜景。手撮りのAE撮影ですが、少し手ぶれはあるものの、結構見られるパノラマ写真が。
※画像クリックで拡大写真

フイルムカメラでは絶対に撮れない写真ですね。

随分以前に、写真に凝っていた頃、函館の夜景や、神戸の夜景を撮影しに行きました。

三脚をセットし、長時間露光。

今や、手撮り撮影で、シャッターを押すだけ。

かつてオーディオ機器に凝り、フイルム現像や引き伸ばし機まで揃えカメラに凝った私が、その当時掛けた金額と時間は何だったのか。と、少し落ち込むひととき。

今、サッカーのワールドカップ出場で、話題が持ちきり。

先日おこなわれた、開催国ドイツとの親善試合で、2対2の引き分けに終わった事が、相手が優勝候補のドイツだけに大騒ぎでした。

でも、今でこそワールドカップに連続で出場するようになった日本ですが、今月17日より封切られる映画『バルトの楽園』の史実の1エピソードが、その時のドイツ捕虜によって初めて日本にサッカーが伝えられたという事は、意外に知られていません。

第一次大戦の終戦時、中国で日本軍に捕虜になった、4700人のうち、約1500人が、徳島の収容所に拘束されたのです。その時の収容所所長が、会津出身の松江少佐。

当時の日本陸軍は、薩摩、長州の軍閥が幅をきかせ、明治維新の時賊軍にされた、会津藩出身者は、理不尽な扱いに苦しみ続けます。

この時、収容所所長の松江少佐も、上官からは、捕虜に対し過酷な扱いを強要されますが、彼は上官の意に背き、国際条約で決められた人道的な扱いを貫きます。

捕虜達は、自由が与えられ、徳島市民との交流も生まれ、その時初めて日本において、バームクーヘンが焼かれ、ビールが造られ、サッカーの試合が行われるようになったのです。

そして、帰国が許され、徳島を離れるようになった捕虜達の中から、収容所所長をはじめ、所員や市民への感謝の気持ちを表す為、オーケストラのコンサートが開かれる事になり、その時初めて、日本でベートーベンの“第九交響曲”が演奏されたのです。

本来、戦い合い、殺し合う立場の軍人達(バルト・“髭”)ですら、民族、宗教、立場を乗り越え、分かり合え、許し合ったところに華やかな文化が生まれる。・・・

その事を伝えようとしているのでは、・・・と私は感じています。

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